夢の欠片ーパニック障害な私ー

パニック障害と不安障害を抱え、 なんとか生きている私の日常。

2017-10

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伯母の人生 1


4月5日(日)

夫の運転で、伯母に会いに行った。

伯母は、父の次姉である。

父には、姉2人と妹1人がいたのだが、

この伯母を残して、みんな、他界してしまった。

伯母の人生は、凄惨だった。

太平洋戦争の最中。

祖母の実家に、たった一人の女の子を亡くした為、

祖母は、伯母の意思など問いもせず、養女にやった。

当時、祖母の兄夫婦は、満州にいた。

伯母は、祖母に付き添われ、満州まで連れて行かれたのだが、

間もなく、終戦。

祖母の兄という人は、温厚な人物で、

朝鮮人にも、温かく接してきたお陰で、リンチなどに、遭わずに済んだ。

だが、間髪を入れず、ソ連軍が南下してきた。

ソ連兵達は、情け容赦なく、男は捕虜にし、

女には暴行をはたらいた挙句、殺すという風聞が流れていた。

事実、その通りであったらしい。

伯母は、養父母と養祖母とともに、一路南へと逃げた。

養父は、伯母の身を案じ、髪を刈り、男の子の格好をさせたと言う。

この話は、あまりにも、辛く、伯母も詳しくは語りたがらない。

雨露を凌ぐ場所も、食べ物もない逃避行。

それは、戦争を知らない私にとって、

どれ程のものか、想像するに、余りあるものである。

何とか、ヤミ船に乗り込み、どこかの浜へ辿り着いたが、

そこは、まだ、北鮮だった。

病身の養祖母が、

「足手まといになるから、私は、ここへ残る。」

と言うのを説き伏せ、養父と代わる代わる背負いながら、

ひたすら、南鮮を目指した。

やっとの思いで、38度線を越えた。

そして、引き揚げ船・・・の上から、懐かしい故郷を見たのだった。





敗戦後の日本。

廃墟と化した日本の土は、それでも、温かかったのだろうか。

伯母の顔を見るたびに、

そんな苦汁を舐め、無法地帯を生き延びて、

よくも、精神が壊れずに、いられたものだと、感心する。

当時の人々の苦難を思えば、

私の苦労など、苦労の内には、入らないかも知れない。

しかし、伯母に降りかかる試練は、これだけでは、済まなかったのだ。



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テーマ:パニック障害(PD) - ジャンル:心と身体

コメント

1 ■大地の子取材ノートで

山崎豊子さんが克明に逃避行のことを記録しています。自分の子供が足手まといになるから、両手で首を締めて殺した親が居たそうです。五味川さんの映画「戦争と人間」でも、逃避行の様子が描かれてましたね。あの映画、徹夜で映画館で観ましたよ(笑)。五味川さんは、日本の「マルタン・デュ・ガール」ですね。「チボー家の人々」も長編小説で読み切るのがなかなか大変でした。

2 ■憲法9条

憲法9条に対して、日本共産党は、制定時に、反対しました。自衛権をも抛棄したからです。吉田茂は、自衛のための武力も抛棄すると言ってそれが通りました。今、日本共産党は、9条を守らせる側に立っていますが、私も、同じ立場です。戦争そのものの存在を前提しない立場です。戦争とは簡単に言いますと、人殺しをする、っていうことです。人を殺すより殺されるほうを選びます。人を殺せば結局は自死することになりますから、同じことなんです。

3 ■う~~~む・・・

この件に関しては、コメントは、差し控えさせていただきます。
たぶん、平行線でしょうから・・・ね^^

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プロフィール

昌子

Author:昌子
パニック障害と不安障害になって、
10年が過ぎました。
大量の薬、副作用、家庭環境、
精神的虐待、自虐的心理状態・・・
などと闘ってきました。


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