夢の欠片ーパニック障害な私ー

パニック障害と不安障害を抱え、 なんとか生きている私の日常。

2017-10

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母親の正体見たり (6)


母は、結婚後、洋裁店を開き、


常に、3~4人の縫い子さんを雇っていた。


その後、祖父が身内の借金を背負ってしまい、


持家を処分し、生れ故郷を離れ、


一家は、岡山市内へと移り住むことになった。


狭い借家暮らしの中でも、母は仕事を続けた。


住み込みの縫い子さん2人と家族5人が、


ひしめき合って暮らす生活は、


私にとって、安らぎのないものだった。


昭和30年代から、高度成長期に渡って、


母は、かなりの収入を得ていたと思われるが、


それも、借金の返済に消えて行ったのだろう。




私が、社会人となって、間もない頃、


「運転免許を取りなさい。」


と、父に言われた。


母は、顧客を訪問したり、生地の仕入れに行ったりと、


移動の手段が、どうしても必要だった。


40を過ぎて、決心を固め、免許を手にしたものの、


母は、到底、自動車など操れる性格ではなかった。


不意の事態に対処する能力が著しく低く、


自分の手に負えないと、激怒するか、


パニック状態に陥るかのどちらかだった。


ここで言うパニック状態とは、


いわゆるパニック障害で発するものではなく、


収拾できない程の、思考の混乱という意味である。


そこで、私にお鉢が回って来たということだった。


免許を取ったその日から、


私は、母の専属運転手となった。


母は、私の自由を、ことごとく奪い、


婿養子をもらって、家を継ぐべきだと、


言い続けていた。


高校を出て、結婚するまでの5年間、


私は、この頑迷な母と、対決し、


自由を勝ち取ろうと、何度も闘いを挑んだが、


味方と頼めるはずの父親も、だんだんと、


ボーダーの母親の固執した考えに染められていき、


もはや、抵抗虚しと、遂に白旗を揚げてしまったのだ。


私、23歳。


お見合いの席で、夫と出会い、


婿養子に来てくれるというそれだけの理由で、


結婚を決めた。





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Author:昌子
パニック障害と不安障害になって、
10年が過ぎました。
大量の薬、副作用、家庭環境、
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