夢の欠片ーパニック障害な私ー

パニック障害と不安障害を抱え、 なんとか生きている私の日常。

2009-01

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解放


今朝、やっと、母が、施設に戻って行った。


この8日間・・・本当に苦しかった。

もう、私には、まったく興味を示さなくなったのだが、

その存在は、大きく、重い。

頭では、解決した問題なのに、

体には、ひどい後遺症が残っている。

吐き気がしたり、胃が重くなったり、気分が落ち着かなかったり、

かなり、悩まされた。

昼間も、ほとんど寝て過ごした。

フラッシュバック?

PTSD?

トラウマ?

条件反射?

強迫観念?

まぁ~、そのどれもが、当てはまるのだろう。

しかし、乗り越えなければならない。

私は、もう、怯えた子供ではないのだから・・・

母は、もう、私を傷付けることなどできないのだから・・・

ここまで、独りで頑張ってきたのだから、

私は、よほど強い人間だと思える。

加えて、愛してくれる夫、娘、息子、妹、伯母、友人・・・

多くの愛情に支えられている。

怖いものなど、何もない。

これからは、素直な心のままに、多くの愛に包まれて、

自由に生きていける。

私に関わるすべての人に、感謝の気持ちを伝えたい。

皆さん、本当に、ありがとう!!!



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病院への道


16日(金)12:00、病院の予約をしていた。


前回と同様、駅に向かうバスに乗った。

しばらくすると・・・来てしまった。

発作・・・だ。

動悸、息切れ、震え、火照り、ふらつき・・・

これは、ヤバい。

慌てて、安定剤を、流し込んだ。

すぐにも、バスから降りてしまいたい衝動を抑えながら、

なんとか、駅まで、辿り着いた。

降りるや否や、ベンチに体を預け、肩で息をする。

が、何分にも、寒風吹きすさぶ中、

いつまでも、じっと座ってはいられない。

よろよろと、地下街への階段を降り、

また、ベンチにすがって、しばらく休んでみた。


私の病気は、パニック障害という括(くく)りには入らない。

何らかの不安症であるらしい。

パニック障害の発作であれば、ほぼ20分以内に、

症状は治まり、嘘のように、元通りになるのだが、

ひどい時には、2~3時間も苦しんだ挙句、

やっと、寝入り、3時間以上睡眠を摂らなければ、

平静には、戻れない。

空腹により血糖値が下がると、余計に悪くなる。


そうだ・・・お腹が空いている・・・

取りあえず、比較的混んでいない店を選んで、食事を摂った。

このまま、自宅に引き返したかったが、

今日までの薬しか、もらっていないのだから、

行かない訳にはいかない。

仕方なく、タクシーを拾い、病院へ向かった。


診療科の待合いに着いたのは、12:30だった。

受付に、遅れた旨を伝え、椅子に腰を下ろした。

程なく、カウンセリングの先生が、現れ、

「しんどそうですね。

15分くらい、光畑さんの時間、残ってますが、

どうされますか?」

と、尋ねてくれた。

「話したい事がありますので・・・」

年末の入院騒ぎから、母が自宅療養していることまで、

かいつまんで、話した。

「それは、かなり辛い状況ですね~」

と、同情してくれた。

主治医に、報告してくれ、診察時間を早めてもらえた。

「大変でしたね。

でも、帰ってしまわないで、よく来られましたね。

そこが、別れ道です。

頑張って、来たんですから、もう大丈夫ですね?」

「はいっ、大丈夫です。」


確かに、今回は、自分の体調を、客観的に判断できた。

やみくもに、不安にかられたり、恐れたりしなかった。

辛くて、泣いてしまうという事もなかった。

大いなる進歩と言えるだろう。

自分で、自身を褒めた。


帰路は、また、タクシーを使った。

もちろん、家に到着するや否や、

布団に潜り込んだのは、言うまでもない。

独りで、出かけて、具合が悪くなっても、

ちゃんと、対処できるという自信がついた。

あぁ~~~~、よかった。

幸せな気分で、私は、目を閉じた。



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喪失 2


母は、いつも、劣等感に苛まれていた。

終戦後、母の実家は貧しく、

上の学校に行かせてもらえなかった事が、

悔しくてならないのだ。

兄(伯父)は、行かせてもらったが、

母は、すぐに、働きに出された。

手に職を付けるのがよいだろうと、

洋裁店に、見習いに入った。

15~6歳であったのだろうか。

幼かった。

まだ、子供でいたかったが、それは、許されなかった。

無理をして大人にならざるを得なかった。

社会に出れば、否応なしに、

教育を受けていない自分の非力を思い知らされた。

世の中は、急変し、

アルファベットが、そこここに、用いられる。

ローマ字さえ読めない母は、

臍(ほぞ)を噛む思いを何度となく、味わう事となる。

しかし、仕立ての腕は、天下逸品であったと、

娘の私から見ても、確信できる。

おそらく、天賦の才能があったのだろう。

洋裁学校にも、通ったらしいが、

ばかばかしくて、話にならないと、言っていた。


そのうち、見合い話がもたらされ、

一度会っただけの父と結婚したものの、

父が借金をかかえていたことがわかった。

若くして、洋裁店を開き、

一家の家計の重きを担うようになり、

その借金も、母の稼ぎで、返済したらしい。

父は、溺愛された一人息子で、

いわゆる男の甲斐性というものは、備わっていなかった。

一家は、母の収入をアテにしていた。


高度成長期を迎え、母の仕事は忙しくなっていった。

服地を仕入れに、大阪まで出かけたりしていた。

当時、日本の繊維技術は、まだ未熟であり、

ヨーロッパからの輸入品でなければ、

上客を満足させることはできなかった。

母は、生地に付いている、横文字が読めない。

どこの国の製品なのか、皆目解らない。

母は、各国の国旗を必死で覚えた。

国旗の印刷されていない物は、私が読んだ。

母は、屈辱感にまみれていた。


私をどこに出しても、恥ずかしくない人間に、

育てあげることが、母にとっての生きがいだった。

始めから、私の人格などには、興味がなかった。

母の理想を、具現する為だけの存在だったのだ。

何事においても、人並み以上である事が要求された。


次第に、母は、自分と私との境目を見失っていった。

何も言わなくても、解ってくれるはずだ。

常に、同じ気持ちでいるはずだ。

自分に足りない部分を補ってくれるはずだ。

母は、架空の理想像たる人物を、私に投影し、

ついには、同化してしまった。


その理想像が実在しない事に、やっと気づいた。

いや、いないというより、いなくなったという事に・・・

母の側に、投影できる娘が、いなくなったのだから・・・

今や、私を見ても、その幻影は見えないらしい。

そして、探し続けている。

私ではない「昌子」を・・・



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1週間


昨日、外出中に、携帯が鳴った。

母のいる施設からだった。

「朝から、具合がよくないので、

病院へ連れて行ってあげてもらえませんか?

感染症の疑いもありますし・・・」

即、帰宅し、夫と共に、母を迎えに行った。

吐き気、下痢を起こし、食欲もないという。

そのまま、近くの救急病院へ・・・

救急外来は、かなり混んでいて、長く待たされた。

やっと、診察、点滴を受けた。

点滴が、1時間半くらい、かかるらしい。

私は、待ち時間の長さに、辟易していた。

発作の予感がする。

安定剤を飲み、待合いの長椅子に横たわる。

20分程、うとうとしていた。

どうも、気分がよろしくない。

夫に、その場を任せ、タクシーで帰宅。

・・・といっても、寝てしまう訳にもいかない。

二人の帰宅を待つ。

母は、思った程、弱ってはいない。

夫は、食事の支度をし、母に食べさせてくれた。

今、もらった薬を飲ませ、自室に寝かせた。


胃が重い。

具合の悪い母が、気掛かりだから・・・?

いや、それだけでもなさそうだ。

共依存からは、解放されたものの、

如何ともしがたい感情が滞っている。

それに、気付いてしまった。

母にとって、私は何だったのか?

実在の私を、母は見ていなかった。

娘としての私を、見ていなかったのだ。

何度も、何度も、架空の人物の事を語る。

私ではない、と言う。

その「昌子」は、いないのか、と・・・

自分の求める「昌子」は、どうしたのか、と・・・

私は、自分が、ただのダミーであったと、

思い知らされる。

私を見ていながら、私を見ていない母。

それでも、娘であるが故、孝行を尽くさねばならない。

しかし、その行為には、何の手応えもない。


今日、施設から、連絡があり、

1週間、自宅で看てもらいたい、と言う。

1週間・・・耐えられるのだろうか?

今の私にとっては、あまりにも、長い。



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喪失


「昌子は、死んだ。」と、母は言う。

先日、自宅に帰って来た時のことである。

「え・・・昌子は、私よ。」

「いいや、違う。

私と同じくらいの歳の・・・

子供の頃から、ずっと、いっしょだった、

あの、昌子のことよ。」

ほーーーー?

「あんたは、昌子じゃない。

昌子は、もう、死んでしもうた。

私は、辛うて、辛うて・・・

泣くばっかりしようたんよ。」

はぁ~~~?

「でも、しようがないんじゃ。

死んでしもうたんじゃから・・・」

ふうん・・・


どうやら、母にとって、昌子という人物は、

鏡に映った自分・・・というか、

分身・・・というか、

親友・・・というか、

理想の人物を描いて、

かつて、私に、投影していたもの・・・というか、

なんとなく、感じは解る気がする。

現実の私と離れたことによって、

その架空の人物も、消えてしまったらしい。

故に、私を見ても、以前ほどの執着はなく、

その死んでしまった昌子を、偲んでいる様子・・・

そうか、ついに、私は抹殺されたか。

究極の共依存も、ここに完結せり。

母は、一人残された寂しさを抱きながらも、

精神の高揚は、諦めという形で、終息し、

現状を受け入れようとしているようだ。


少し前には、死にたいなどと言って、泣いてばかりで、

施設のスタッフの方から、何度も、電話があった。

「お声だけでも、聞かせてあげてください。」・・・とか、

「やっぱり、会いに来ていただいた方がいいと思うのですが・・・」とか。

電話越しに話すだけでも、気が重かった。

話をしたところで、聞く耳など持たない。

ただ、「もう死ぬ。」と、繰り返すばかり。

私の代わりに、夫と息子が、会いに行ってくれた。


しかし、人間の構造というものは、実によくできている。

破綻しそうな精神状態から、身を護る為、

その苦痛を回避する手立てが備わっているらしい。

有難いことである。

母の姿からは、もう、負のオーラは出ていない。

私を絡め捕ろうとする意固地さもない。

やっと、全ての呪縛から、解放された。

やっと、母の顔を、正視することができた。



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プロフィール

昌子

Author:昌子
パニック障害と不安障害になって、
10年が過ぎました。
大量の薬、副作用、家庭環境、
精神的虐待、自虐的心理状態・・・
などと闘ってきました。


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